読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

てつるぶろぐ

仮住まいなう

写真の射程

どんジレ(id:hrkt0115311)さんとこで。

こうした文章を書いてみて気づいたことが二つ。一つは、上手ではないけれど、「こんなことがあったよ」と文章にすることができて幸せだということ。もう一つは、彼は焼いて骨になったから、もう写真を撮ることはできない。でも、私の視点、あるいは家族の伝聞で、「彼はこんなヤツだったんだよ」という文章なら、これからも書くことができる。情報量という点では、文章より写真、写真より動画、動画より現実の方が多い。でも、「すでに無いもの」を描写(撮影)することができるのは、文章だ。当たり前のことかもしれないけれど、写真ではもう撮れない物事を、文章は描写できるのだなぁと、実感しています。文章が好きで良かった。

http://d.hatena.ne.jp/hrkt0115311/20100225/1267101676


にゃんこさんを亡くされたところの、すごく思いが伝わるエントリ。
文章が好きな人はやっぱり強い。でも、と思ってブクマのコメントにこう書いた。

それでもやっぱり、「不在」だって「喪失」だって写真に撮れるはずだと思うんだ。と思う自分は写真の側の人間でもあるのです。

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/hrkt0115311/20100225/1267101676


そしたら。

亡くした猫の写真を新しく撮影することはできないという立場から上記文章を書きました。はてなブックマークでコメントいただいて、私が写真という表現方法に親しんでいない面もあると感じました。

具体的にどうすればいいのか分からないけれど、たとえば、猫がひなたぼっこした場所を写せば、「本来はここに猫がいるはず」と、撮影した私は分かると思います。写真にキャプションをつけるのか、あるいは別の方法をとるのか。

思い出話をするように気軽に、私が写真を(カメラを)使いこなせていないだけで、写真という表現方法に親しんでいる方は、きっと「不在」も「喪失」も表現できるのだろうと思います。違う視点で語りかけて下さってありがとうございます。

http://d.hatena.ne.jp/hrkt0115311/20100226/1267182088


どひゃー。またしても引用付きで丁寧に返信が。
偉そうなこと書いておいて、実は具体的なことは何も言えないのだけど、写真理論とかとは別のベクトルの話として、例えば「花」の写真だって「猫」を思って撮ることは十分可能なんじゃないかな、と思うわけです。もちろん「アイツはこんなヤツでさあ」という具体的なトコを他者に伝達するには言葉が一番なのですが、そういったこととは別の、それこそ文章にする時に言語に結像しきれずに指の間からさらさらとこぼれていってしまう何ものかを、写真は受け止めて、二次元に焼き付けさせてくれるんじゃないかな、と。そもそも文章にすることができないから、キャプションも説明もできなくて、「いやあ、なんかアイツのことふと思った時の写真なんだけど」としか言えないんだろうけど、自分にだけはちゃんとわかってる、みたいなことってあっていいんじゃないかな、と信じているのです。
もちろんその逆に、人の写真を見て、勝手に自分の中にある何ものかを投影することだってしていいんじゃないかな、とも。


…とまあ後付けの言い訳で、ブクマするときなんでそんなことを思ったのか自分でもよくわからないんですが(笑)
寺田寅彦の、青空文庫でも読める「映画時代」というエッセイに

実物と同じに見せるということは絵画の目的でないと同様に映画の目的でもない。実物を見たのでは到底発見することのできないものを発見させるところに映画の特長があるのではないか。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/339_15304.html

と書いてあるんですが、きっと「同様に写真の目的でもない」なんじゃないかなあというのはずっと思っていたのです。


ということで、「じゃあイラストもあるよ」ということでハイクに絵をかかれてたので、ここは「じゃあ写真もいいよ」とコメントしてみます。撮るだけじゃなくて、見るのも。それで、一般人にはなかなか機会がないんだけど、現像も実際にやってみると、きっと写真にも心を鷲掴みにされて後戻りできなくなることウケアイです。