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てつるぶろぐ

仮住まいなう

あしたの ために。

42 life, the universe and everything

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6/3にtwitterで精力的に色々活動されている @Butayama3 さんに呼ばれ、お母さんや保育園の方を対象にした放射性物質と食品についてお話会(という名の id:ohira-y のリサイタル)にお邪魔してきました。
詳しくはこちらを読んで頂ければ大体充分です→6/3 『放射線勉強会「あしたのために」特別講座 小比良和威さんとその仲間たちに聞いてみよう』 - Togetterまとめ*1
しかし、いい集まりだったなー。というのも踏まえていくつか。

内容

かいつまむと、最初は食品衛生法の話から、基準値の設定、ADIとかを通してポジティブリスト経由して輸入食品の安全性の話をしてから放射性物質について、で、基本的には前回のと概ね近い感じでしたが、ちょっと「おっ」と思ったところは、「バナナはおやつに入りますか」からの話の食いつき方が前回と違って流石でした。まあそれはともかく、チェルノブイリとの比較について(確か前回の時は殆どなかったような覚えがあるのでこのあたりさすがの小比良さん気配りでしょう)話が始まると、場の雰囲気がしゅっと真剣味を増したように思います。やはりどうしても比べてしまう、あるいは比べる対象を必要としてしまうような、そんな切実さを思い知りました。

あとは、暫定基準値は救命ボートであるという話は示唆的でしたねえ。一旦事故が起きてしまった以上、少なくとも助かるために何かを犠牲にすることがあって、まあ高い安全性とか快適性とかという話でした。

そして。最後のALARAのお話。
前回と違ってやっぱり切実さがあるというか、ここも雰囲気がパリっとしていました。本人だけじゃなくて「誰かの子ども」を預かるということの。あの場の、保育や、医療の現場での"Reasonably"とはなんなのだろう。もやもや。

内容について思ったこと

以下、色々後出しジャンケンで思ったことを書きなぐります。


個人的には個別の動態とかはともかく何でもチェルノブイリと比較することは今でもあまり得策でないような印象を持っていますが、それでも認知する足場としては手近な事例が他にないんですよね。
ただ、事例としての利用をする以上、あるいはそもそも論として同じ苦悩を持った先達として、かの地に生きる人への敬意を忘れないようにしないといけないといけないと思っています。特にことさら「将来何が起こるかわからない」と言う前に。というのは昔労働科学研究所の労働安全衛生セミナーを受けた時に、冒頭で放射線障害でケロイドになった技師さんの手の写真を見せてくれた先生が居られたのですね。「こういった過去の上に今が成り立っています」と。*2


で、会としては人数がちょっと多かったのかなあ、というのはちょっと思いましたねえ。(30人弱くらいだったっけ?)
キャッチボールという意味でちょっとあぶれるような形で、思ったこと抱えてやっぱりもやもやしてる人がいるのかな、という気がしました。ただそれを踏まえても活発というか、良いやりとりがあったように思います。
班分けをしてもだれが「引き受ける」のかという面とか、全体の空気が共有できない問題があるので、何とも難しいというか。


あと、「自分だったらどうしますか」「自分に子どもが居たとして、どう対応しますか」という視点は結構大事なんじゃないかなと思っていて、途中園長先生がちらっと聞かれて答えられないまま流れた問い「あなた達であればどうするのか」という問いこそがまさにALARAなんだと思いました。
うちの場合は、上水道ヨウ素131が検出された前後も別に普通に水道水を使っていましたし、横浜方面よりは空間線量高いもののまあ去年から引き続きプランターで野菜作っておいしく頂いていますし、スーパーで北関東〜東北の牛肉が安ければ買っておいしく頂いているような*3生活スタイルを送っています。


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冒頭の写真のナスも育ったとこで一昨日おいしくそぼろ煮にして頂きました(^p^)思い出すだけで涎がっ。


逆に自分達が「逃げる」時はどういう時だろうということも考えました。夫婦ともに関西が地元なので、何も足がかりがない人よりは逃げやすいのだけど、それでも本当に居住地が立ち入り禁止になるくらいでないと動かないような気もするし(そもそも夫婦共にそれなりに「背後を守る」職種ですし)。こればかりは起こってみないとわからない気もするし。いやまあ、もう二度と起きてくれるなとは思いますが。


あと「むしろ危険だと思うものは何ですか」みたいな話もあったような覚えがあるけど、まあ個人的には肉の生食とか「有機野菜は採れたてが旨いんだ」って泥つきの野菜をバリバリーみたいなのはヤメテーってなりますね。

まだモヤモヤしていること

まあどっちかと言わなくても科学系ヲタ的ポジションで参加しましたが、そこに片足をしっかり立てたまま、もう片足を越境できないものか、すなわち説明で数字を出すことから一歩踏み出せないのか。安全ですと本当に言えないのか、越えては行けないものか、ということをつらつらと考えています。
あるいは、我々の側から「数字」を、自分たちの寄って立つものこそを、もうちょっとスルーしてもいいんじゃないかな、とか。数字を留保した上でコミュニケーションを取ってみてもいいんじゃないか、と。

というのも、やりとりをしている時に、@_taka51 さんが数字の話をした時と、早野さんとか野尻さんの名前を出した瞬間の、何というか「うわっ」という雰囲気があってですね。なんだろうなと。


その一方で、参加者の方の質問というか思いを受けて、 @_taka51 さんが答えた「(キノコを食べる時)気持ち悪さがやっぱりありました」というところはおぉ、と思いました。というか、場もちょっと「よかったこの人達人間なんだ」みたいな感覚があったような気がしたんですよ何か。


学習院大学の田崎さんが公開されている「やっかいな放射線と向きあって暮らしていくための基礎知識」もすごく良い資料で、サブタイトルの「普通ではない15ヶ月間を過ごしてきたすべての人へ  --- 敬意と感謝と言葉にできない思いをこめて」なんかもう泣かせようとしてるでしょっていうくらいなんだけど。

あと、もう一つ大事なこと。
この本は、「安全だよ。安心してください」と言うために書いたのではないし、「危険だ。心配しなくてはいけない!」と言うために書いたのでもない。

RadBookBasic

もちろん田崎さんの趣旨に激しく同意もするけれど、それを踏まえて「安全だよ」と寄り添えないものか、ずっと考えています。それでも「まあ大丈夫だと思うよ」というには、ある程度の「気持ち悪さ」に対して理解をしなきゃだめかもしれないな、とか。「断固無理」って言う人にはちょっとどうしたら良いのかわかんないけど。


個人的には「科学的説明」が一発で有効な時期は終わっちゃったんじゃないかなという気もしていますが。


まあそれはともかく。
阪大の鷲田総長が平成22年度の卒業式式辞で中井久夫さんを引用して、

阪神淡路大震災のときに、わたしは当時神戸大学の附属病院に勤務しておられた精神科医の中井久夫先生から一つの言葉を教わりました。copresence という言葉です。中井先生はこの言葉を「いてくれること」と訳し、他人の copresence が被災の現場でいかに重い意味をもつかを説かれました。

http://www.osaka-u.ac.jp/ja/guide/president/files/h23_shikiji.pdf

と語られていましたが、翻って一応理科系の大学を出たり、技術系の仕事をしたりしている自分には、ライ麦畑のキャッチャーのような、そういうポジションでいるには、それももっとカジュアルな形でいるには、どうしたらいいんだろう。誰かのcopresenceでいるには。


そういう意味で、「何かよくわかんないけどまあ悪い人じゃなさそう」という今回のポジションはそれなりに面白いことができそうで、例えばまた行って今度は保育園の砂場で座って何かの話したりとかさ、そんなノリでもいいのかなとか思っています。

関連がある気がする書籍

(6/29 後日追記分)
このあたりの話で、参考とまでは直接関係していないかもしれないけれど、基礎というか、いつも意識している本。(あとで引用は載せようと思いつつ忙しくて放置しておりましたごめんなさい…)


ここからはじまる倫理

ここからはじまる倫理

p.21
相対主義の決まり文句「他人のことに口を出すべからず」は、それゆえ、反社会的な態度となる。思考を停止させるだけではない。社会全体が関わってくる問題の場合には、そこにおいてどれほど意見が異なっていようとも、なお理を尽くして、お互いを尊重しつつ、なんとかして協調していけるよう道を探らねばならないのに、この決まり文句によって、そこから目をそらしてしまうのだ。基礎的な道徳的問題には、このようなタイプの問題が含まれている。それはたんに個人の問題ではない。誰もが共通に取り組まねばならない。
実際、これこそ倫理の真の課題であると主張する哲学者たちがいる。倫理は、お互いの行動に私たち全員が巻き込まれざるをえない場合に、みんながともに生きていくための道徳規範を確立する手引きを与えねばならない。この見解に従えば、倫理とは、「他人のことに口を出すべからず」が問題解決として役に立たない−どれほど意見が分かれていようとも、一緒に問題を解決していかなければどうしようもない−、まさにそのような問題に照準を当てたものだということになる。私たちは、ともに生きていかねばならない。だからこそ、なおも考え続け、語り続けなければならない。これこそが、倫理そのものであり、倫理的にふるまうことにほかならない。

p.40
しかしながら、やはり事態はそれほど明快ではない。第一に倫理的規則にもまた、他のすべての規則と同様に例外がある。いつでも、けっして嘘をついてはならないというのなら、カントはまちがっているのは確実だ。罪のない犠牲者を助けるためなら、嘘はつかねばならない。1930年代から40年代のヨーロッパにはユダヤ人をナチスからかくまった人々が、また奴隷制時代のアメリカには、雇い主から逃げ出した奴隷をかくまった人々がいた。その人たちのしたことは、組織的に人をだますことであった。一つ嘘をついてみた、などという軽いものではない。時には何年ものあいだ、だましつづけたのだ。それにもかかわらず、私たちはその行為をたたえる。
実のところ、倫理的規則は、「君子危うきに近寄らず」のような非倫理的なよく知られた経験則にかなり似ている。「正直が最善の方針である」のような倫理的規則は、つねになすべきことを告げるのではない。倫理的規則は、よい方針を勧めてくれる。だがけっして、それが唯一の方針だと主張しはしない。正直であろうとするのはいいことだ−たいていの場合は。しかしいかなる状況でも、疑問をもたずにそのような規則に従えと言い張る人は、マーク・トゥエインがかつて言ったように、「最悪の意味での善人」である、やはり、私たちが決定しなければならないのだ。


そして、直接は関係ないのだけど、そして「ネタバレ」であるので紹介してしまうことに迷いがあるのですが、訳者あとがきの、このエピソードがとてもとても素敵なのです。

訳出にあたっては、「はじめに」と序論そして第1章を野矢茂樹、第2章と第3章を高村夏輝、第4章と第5章そして補論を法野谷俊哉が、それぞれ下訳を担当し、それを全員が検討した。その検討がいかに念入りなものであったかといったことは自慢になるので控えたいが、実は、この検討作業は私(野矢)にとってたいそう愉快なものであったので、場違いを省みず、ひとこと記させていただきたい。お断りしておけば、その話は読者にはまったく関係がない。ただ訳者たちの記念として、ここに書き残しておきたいのである。最初、その検討会は私の勤務先の大学で行っていた。しかし、訳者の一人高村が、生まれてきた赤ん坊の世話のため外出がままならなくなった。そこで検討会は彼のところで行うことになった。東京郊外にあるなんだか隠れ家のような雰囲気のあるアパートの、小さなダイニング・テーブルで、三人は翻訳に頭をひねったのである。そしてそこにはあと二人いあわせていた。一人はもちろん赤ん坊であるが、もう一人は、お守りのために頼んで一緒に来てもらった私の妻である。そして、一日の作業にヘトヘトになった頃、高村くんの奥さんが仕事から帰ってきて、われわれは引き上げていく。いったい、この話のどこが「愉快」なのか、いぶかしく思われるかもしれない。だが、なんだろう、私にはなんだかこの状況がとても楽しかったのだ。そうしてときに赤ん坊の泣き声を聞き、ときにその寝顔にほっとしながら、この翻訳は作られていった。私は、書斎でも大学の研究室でもなく、赤ちゃんの寝顔のかたわらで作られていったということが、この本にはとても似つかわしいように思える。だから、この小さな本は、高村あおいさんに捧げることにしたいと思う。彼女が大人になる頃、世の中はどんなふうになっているのだろう。

まさにお互いが copresence であること、あるいは弱きものからも「護られている」ということ、倫理とは何者かということ。
哲学や倫理の本にこんな素敵エピソードが書かれているということだけでも、ある種の救いや希望なのではないかなとすごく思うのです。



「聴く」ことの力―臨床哲学試論

「聴く」ことの力―臨床哲学試論

上で式辞をご紹介した鷲田さんの本。

p.10
中川米造が「医療のクリニック」のなかで引いているターミナル・ケアをめぐるアンケートのことだ。この調査の対象集団は、医学生、看護学生、内科医、外科医、ガン医、精神科医、それに看護婦である。このアンケートは末期医療の研究者ふたり(柏木哲夫・岡安大仁)によって作られたものなので、専門家のあいだではよく知られたものなのだそうだが、そのなかにこんな設問があった。「わたしはもうだめなのではないでしょうか?」という患者のことばに対して、あなたならどう答えますか、という問いである。これに対してつぎのような五つの選択肢が立てられている。
(1) 「そんなこと言わないで、もっと頑張りなさいよ」と励ます。
(2) 「そんなこと心配しないでいいんですよ」と答える。
(3) 「どうしてそんな気持になるの」と聞き返す。
(4) 「これだけ痛みがあると、そんな気にもなるね」と同情を示す。
(5) 「もうだめなんだ……とそんな気がするんですね」と返す。
結果は、精神科医を除く医師と医学生のほとんどが(1)を、看護婦と看護学生の多くが(3)を選んだそうだ。その解釈はさておいて、精神科医の多くが選んだのは(5)である。一件、なんの答えにもなっていないようにみえるが、じつはこれは解答ではなく、「患者の言葉を確かに受けとめましたという応答」なのだ、と中川は言う。<聴く>というのは、なにもしないで耳を傾けるという単純に受動的な行為なのではない。それは語る側からすれば、ことばを受けとめてもらったという、たしかな出来事である。こうして「患者は口を開きはじめる。得体の知れない不安の実体が何なのか、聞き手の胸を借りながら捜し求める。はっきりと表に出すことができれば、それで不安は解消できることが多いし、もしそれができないとしても解決の手掛りは、はっきりつかめるものである」。
聴くことが、ことばを受けとめることが、他者の自己理解の場をひらくということであろう。じっと聴くこと、そのことの力を感じる。かつて古代ギリシャの哲学者が<産婆術>と呼んだような力を、あるいは別の人物なら<介添え>とでも呼ぶであろう力を、である。
わたしがここで考えてみたいこと、それがこの<聴く>という行為であり、そしてその力である。語る、諭すという、他者にはたらきかける行為でなく、論じる、主張するという、他者を前にしての自己表出の行為でもなく、<聴く>という、他者のことばを受けとる行為、受けとめる行為のもつ意味である。そしてここからが微妙なのだが、<聴く>というという、いわば受け身のいとなみ、それについていろいろと思いをめぐらすことをとおして、<聴く>ことの哲学ではなく、<聴く>ことのこととしての哲学の可能性について、しばらく考えつづけたいとおもうのだ。

というパラグラフが最初に書かれているこの本もとても気に入っていて。

p134
臨床と非臨床は職業的に区分されうるものではない。たとえば接客のプロフェッショナルであるバーのママや料理店の仲居さんも、市民生活の安全にかかわる警察官も、野菜や魚を売る商店街の生鮮業者も、接客そのものを職業とするかしないかにかかわりなく、<臨床>に関与するケースがある。じぶんがそれに感心があるかないかにかかわりなく客の話を聴くばあい、あるいは公私を問わず相談を受けるとき、その会話の場面が<臨床>になっている。つまり、社会のベッドサイドに。
おなじ他者にかかわる場面がときに臨床となり、ときに非臨床とみなされるのは、なにを基準にしてであろうか。それはおそらく、職業としてのホスピタブルな役割を超えたところで、なお<ホスピタリティ>を保持しうるような関係性のなかにあるかどうかにかかっているのだろう。つまり、ある役柄としていわば匿名的に関係するか、だれかにとっての特定の「だれ」としてホスピタブルな関係のなかに入ってゆくかどうか、である。


という文章のあと、ホスピタブルな関係の中で自分自身が変えられること、変わっていくことという話が書かれていました。


このあたりの本は立ち位置みたいな意味で結構参考になる気がする、と思っているのでただ今絶賛貸出中。


知のモラル

知のモラル

あと10年以上うちの本棚にいるこの本の帯の文句、「知は希望を語る」という立ち位置は、今こそ必要なんじゃないかなあ、とか思う訳です。


めんどくさいよね。めんどくさい時代だよね。
でもまあ、色々と考えて生きていくことも楽しいと思うんだ、きっと。


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おまけのきぼうさん。

*1:俺殆どいらんことしか言ってないな

*2:「本邦放射線医学50年の輝かしい歴史の裏面に数多い職業性慢性障害により放射線の犠牲として尊き生命を失った先輩が相当数あり,又現にその障害に苦悩する同学の人も数多くある。私共はその身を犠牲とし苦痛に堪えて発達に寄与せられた方を尊敬し,追憶し,顕彰するのは,その恩恵に浴した者の責務である」(後藤五郎「放射線による職業性慢性障害」(1955年)刊より.三浦豊彦「労働と健康の戦後史-労働と健康の歴史第5巻,労研出版p306-308)

*3:ちなみに前回の和牛祭はBSEが国内で出た時で、大学生でしたが和牛うめえ(^p^)生活を満喫しておりました